名古屋地方裁判所 平成4年(ワ)4142号 判決 1995年12月25日
原告・反訴被告 国
代理人 西森政一 桜木修 樹下芳博 ほか六名
被告・反訴原告 伊藤滋
主文
一 被告(反訴原告)は、原告(反訴被告)に対し、別紙物件目録(一)記載の各土地につき真正な登記名義の回復を原因とする所有権移転登記手続をせよ。
二 被告(反訴原告)の反訴請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、本訴反訴を通じ、被告(反訴原告)の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 本訴
主文第一項と同趣旨
二 反訴
1 主位的請求
被告(反訴原告)が別紙物件目録(一)記載の各土地を所有していることを確認する。
2 予備的請求
被告(反訴原告)が別紙物件目録(二)記載の各土地を所有していることを確認する。
第二事案の概要
一 争いのない事実等
1 福原輪中堤は、濃尾平野の西部の木曽川、長良川及び揖斐川の三河川の流水防備のために寛永一二年(西暦一六三五年)に築造された人工の堤防である。
2(一) 愛知県知事は、昭和一四年八月四日付けで、旧河川法(明治二九年法律第七一号。以下「旧法」という。)四条二項に基づき、福原輪中堤の環状部分(以下「本件環状堤」という。)全部を同項に規定する長良川の「河川の附属物」として認定し(以下、この認定を「本件認定処分」という。)、同日、その旨告示した。
(二) その告示においては、起点所在地として「海部郡立田村福原新田二番割」と記載され、終点所在地として「海部郡立田村立田三番割」と記載され、かつ、「輪状ヲナシ起終点同ジ」と付加されており、工種として「土堤」、長さとして「九〇五・〇間」と記載され、摘要欄には「本流沿ヒノ法下面ニハ所々石積ヲ施行ス副堤」と記載されていた(<証拠略>)。
3(一) 別紙物件目録(一)記載の各土地(以下、各土地を同目録の記載番号により「本件土地(一)」、「本件土地(二)」といい、併せて「本件各土地」という。)は、本件認定処分の時点で、本件環状堤内側の中段部分の敷地であった(ただし、本件各土地のうち別紙物件目録(二)の(一)(二)の部分(以下、各部分を同目録の記載番号により「本件土地部分(一)」、「本件土地部分(二)」といい、併せて「本件各土地部分」という。)ついては、争いがある。)。
(二) 本件認定処分のされたときから<証拠略>の作成されたころまで、本件環状堤について、形態の変更をもたらすような改修等はなかった。
4 本件認定処分当時、本件各土地の所有名義人は加藤太郎(以下「訴外太郎」という。)であったが、昭和四八年一〇月一日受付で相続を原因として加藤千代子(以下「訴外千代子」という。)に所有権移転登記がされ、さらに同日受付で贈与を原因として被告(反訴原告。以下「被告」という。)に所有権移転登記がされている。
5(一) 原告(反訴被告。以下「原告」という。)は、長良川改修工事のため、土地収用法による事業認定(昭和三九年六月二日告示)を受け、本件各土地については、本件認定処分により私権は消滅しているが訴外千代子に占用権があるとして愛知県収用委員会に権利収用裁決の申請をし、同委員会は、昭和四二年一二月二〇日、本件各土地につき権利収用裁決(以下「本件権利収用裁決」という。)をした。
(二) 被告は、昭和五五年、本件各土地を占有していた本件原告を被告として、本件各土地の所有権に基づき本件各土地の引渡しを求める訴えを提起したが、第一審は、昭和六一年八月二九日、「地方行政庁が当該施設(工作物)を河川附属物と認定することによって当該河川附属物について旧河川法の適用される範囲は自ずと定まり、右認定によって同法三条による河川附属物及びその敷地についての私権消滅の効果が生じる」と判示して、本件認定処分により、本件各土地の所有権(私権)は消滅したとの理由で請求を棄却し、控訴審も、平成二年四月二五日、「本件土地は本件河川附属物認定処分において、河川附属物と認定された福原輪中堤の環状堤の敷地部分にあり、同認定処分により、旧河川法第三条に従いその所有権は消滅した」との理由で控訴を棄却し、被告において上告しなかったので、第一審判決が、そのまま確定した(以下、この訴訟を「別件引渡請求訴訟」という。)。
6 旧法の主な関係条文は、次のとおりである。
第一条 此ノ法律ニ於テ河川ト称スルハ主務大臣ニ於テ公共ノ利害ニ重大ノ関係アリト認定シタル河川ヲ謂フ
第二条 河川ノ区域ハ地方行政庁ノ認定スル所ニ依ル
以下略
第三条 河川並其ノ敷地若ハ流水ハ私権ノ目的トナルコトヲ得ス
第四条 地方行政庁ニ於テ河川ノ支川若ハ派川ト認定シタルモノハ命令ヲ以テ特別ノ規程ヲ設ケタル場合ヲ除クノ外総テ河川ニ関スル規程ニ従フ
堤防、護岸、水制、河津、曳船道具ノ他流水ニ因リテ生スル公利ヲ増進シ又ハ公害ヲ除却若ハ軽減スル為ニ設ケタルモノニシテ地方行政庁ニ於テ河川ノ付属物ト認定シタルモノハ命令ヲ以テ特別ノ規程ヲ設ケタル場合ヲ除クノ外総テ河川ニ関スル規程ニ従フ
第一四条 地方行政庁ハ其ノ管理ニ属スル河川ノ台帳ヲ調製シ主務大臣ノ認可ヲ受クヘシ
台帳ノ調製、保管、記載事項等ニ関スル規程ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム
主務大臣ノ認定ヲ経タル台帳ニ記載セル事項ニ関シテハ反対ノ立証ヲ許サス但シ台帳調製後其ノ事実ノ変更シタルコトヲ証スルヲ妨ケス
7 なお、現行河川法(昭和三九年法律第一六七号。以下「新法」という。)の施行法である河川法施行法(昭和三九年法律第一六八号。以下「新法施行法」という。)は、次のように規定している。
第四条 新法の施行の際現に存する旧法第一条の河川若しくは同法第四条第一項の支川若しくは派川の敷地又は同条第二項の附属物若しくはその敷地(以下「旧法による河川敷地等」という。)で、同法第三条の規定により私権の目的となることを得ないものとされているものは、国に帰属する。
二 争点
1 原告の主張
(一) 本件各土地は、本件認定処分当時、いずれも本件環状堤の敷地であった(本件環状堤については、昭和一三年の大洪水によりその南部において一部決壊し、本件認定処分前にその補修が行われた。)。
したがって、本件各土地は、旧法四条二項、三条、新法施行法四条により、原告の所有するところとなった。
なお、河川については、旧法一条の主務大臣の認定によりその縦の限界は定まるが、それだけでは、横の限界が定まらないため、同法二条一項の地方行政庁(都道府県知事)の区域認定により横の限界が定まり、それによって河川の具体的な範囲が定まることになっていた。しかし、河川の附属物については、実体のある施設について認定を行うため、法が適用されるべき範囲は、現地において具体的に、かつ、即地的に明らかとなる。したがって、旧法においては、附属物については、河川のように区域認定を必要としなかった。
(二)(1) 別件引渡請求訴訟においては、その請求の当否を判断するために不可欠な事項として本件認定処分により本件各土地の私権が消滅したかどうかが両当事者により真剣に争われ、実質的な審理が尽くされた上、本件原告の主張どおり本件認定処分により本件各土地の私権は消滅したと判断されたものである。
したがって、同一当事者間の本件訴訟において被告が実質的に同一理由で本件各土地の所有権を争い、再度、審理を行わせることは、紛争の一回的解決の要請に反するものであり、裁判所及び相手方に訴訟経済上の無駄を強いるものにほかならず、訴訟上の信義則に反するものである。
(2) 訴外千代子は、訴訟により本件権利収用裁決における補償額(土地所有権を収用された場合の額と同額との前提で算定された。)を争い、確定後、その額を受領した。
被告は、実質的に訴外千代子の代理人として一貫して右訴訟に関与していたものであり、山林ではなく堤防としての補償を求めて右訴訟を実質的に遂行した。そして、本件各土地につき、訴外千代子からその補償金相当額を受領している。
被告は、右訴訟及び別件引渡請求訴訟においても、また、訴訟外での原告との交渉においても、本件各土地は堤防敷地であると主張していたものであり、その一部(本件各土地部分)が平地であるとは主張していなかった。
(三) よって、原告は、本訴において、被告に対し、本件各土地の所有権に基づき、真正な登記名義の回復を原因とする所有権移転登記手続をすることを求める。
2 被告の主張
(一)(1) 本件環状堤については、明治三二年に木曽川の附属物としての認定(以下「明治認定」という。)がされ、明治三五年に長良川の附属物に認定換えがされ、明治四〇年に範囲を輪中部分に限定する等の訂正がされた。
そして、大正二年にその区域認定が告示され、それによって私権が消滅したとして、堤防敷と認定された部分について登記が抹消された。
(2) 大正一四年には、再度、附属物としての認定(以下「大正認定」という。)がされているが、その告示においては、「異動ナシ」と表示されており、附属物認定の対象に変化はない。
(3) そして、大正認定に先立ち同年に更正台帳(以下「本件更正台帳」という。)が調整されているが、本件更正台帳は、河川台帳を更正したものであって、旧法一四条の河川台帳に当たるところ、本件更正台帳においては、本件各土地は、河川の附属物の区域内に含まれていない。
(4) また、本件認定処分の後は、新たな更正台帳は作成されていない。
(5) したがって、本件各土地は、本件認定処分に係る河川の附属物の区域外にあり、その所有権は、本件認定処分により消滅していない。
(二) 仮に本件各土地が、本件認定処分において附属物と認定された堤防の区域内にあったとしても、堤防は、土地の構成部分ではなく定着物であり、土地とは別個の物件であるから、堤防については、附属物認定により私権が消滅するが、その敷地については、河川の場合と同様に、その敷地の区域認定があって初めて私権が消滅する。
したがって、区域認定のなされていない本件においては、本件各土地の私権は、消滅していない。
なお、堤防については、即地的にその敷地の範囲が定まるとはいえない。そのことは、本件環状堤においても、堤防小段、堤防小段状の宅地、神社敷、墓地などが堤防に隣接して並んでおり、その地形からは、その区別や境界は判明しない状態であったことからも明らかである。
(三) なお、仮に本件認定処分により即地的に附属物の範囲が定まるとしても、本件各土地部分は、本件認定処分当時、本件環状堤の敷地とはなっていなかった。
(四)(1) 本件各土地は、もと訴外太郎の所有であったところ、昭和二二年一二月二五日、加藤らくが同人を相続し、昭和三六年一二月二九日、訴外千代子が加藤らくを相続した。
(2) 被告は、昭和四八年九月六日、訴外千代子から本件各土地の贈与を受けた。
(五)(1) 原告は、当初、訴外千代子に本件各土地の所有権が帰属していることを認めた上、それを前提として被告との間で本件各土地等につき土地収用の手続をすることを約し、また、被告から土地収用前の起工承諾を取り付けた。そして、実際にもその旨の裁決の申請をしていたのである。
(2) しかるに、原告は、その改修工事が終わると、被告との右約定を踏みにじり、その申請を取り下げ、本件認定処分により私権は消滅しているといった旧法の解釈、運用と掛け離れた法解釈を前提として権利収用裁決の申請をするに至ったものである。
(3) 原告の右のような行為こそ禁反言の原則に反し、また、信義則に反するものである。
(六) よって、被告は、反訴において、主位的に被告が本件各土地を所有していることの確認を求め、予備的に被告が本件各土地部分を所有していることの確認を求める。
第三証拠
本件調書中の書証目録の記載を引用する。
第四争点に対する当裁判所の判断
一 旧法における河川の区域の認定
旧法においては、一条の主務大臣による河川の認定により河川の縦の限界が定まり、二条一項の地方行政庁による河川の区域の認定により河川の横の限界が定まり、それによって適用河川が具体的に定まるものとされていた。
そして、旧法は、一四条において、河川については地方行政庁において河川台帳を調製すべき旨規定し、かつ、河川台帳の記載に公証力を認めていた。また、同条二項に基づく河川台帳令(明治二九年勅令第三三一号)一条は、河川台帳は帳簿及び実測図をもって組成する旨規定していた(<証拠略>)。さらに、大正二年法律第一八号により追加された不動産登記法(明治三二年法律第二四号)一〇二条ノ三は、既登記土地が河川の敷地となった場合においては、当該官庁は遅滞なくその登記の抹消を登記所に嘱託することを要する旨規定していた(<証拠略>)。
そこで、右関係規定を受けて、実務においては、河川の区域の認定は、河川区域認定線(河川の区域とそれ以外の地域との境界線)を決定して行うものとされ、その具体的方法として、標柱による方法の場合には、認定線上に標柱を建設しなければならないものとされ、土地の地番による方法の場合において一筆の土地の一部を河川区域に認定しようとするときは、その土地を認定区域線に従って分筆しなければならないものとされていた(<証拠略>)。
そして、右のようにして河川区域認定線が定まったときには、区域の認定のあったことを周知せしめる措置を講じなければならないものとされ、区域の認定は、そのような措置がとられなければ、私権喪失の効力を生じないと解されていた(<証拠略>)。また、その周知の方法としては、行政実例では、都道府県の公布式により告示して行うことが妥当であり、告示しない場合には、土地所有者及びその土地に関し登記した権利を有する者に通知することを要する(大正四年一〇月二一日各地方長官宛土木局長回答)とされていた(<証拠略>)。
二 旧法における河川の附属物の認定とその敷地の区域の認定
1 旧法四条一項は、地方行政庁において河川の支川又は派川と認定したものについては、命令で特別の規程を設けた場合を除き、すべて河川に関する規程に従う旨規定しており、同条二項は、地方行政庁が河川の附属物と認定したものについては、命令で特別の規程を設けた場合を除き、すべて河川に関する規程に従うと規程していた。また、旧法施行規程(明治二九年勅令第二三六号)は、一条において、主務大臣が認定した河川は、官報により告示すべきものと規定し、二条において、河川の支川若しくは派川又は河川の附属物と認定されたものは、その地方の公布式により告示すべきものと規定していた。
そして、右のような各規定の文言と支川及び派川については支川又は派川としての認定とその区域の認定が必要と解されていたことからして、昭和一四年の時点では、旧法四条の各認定は、同法一条の認定に相当し、附属物についても附属物としての認定のほかに、その区域の認定が必要であると解する見解と附属物はすでに形成された実体につき地方行政庁において認定したものであるから、改めてその区域の認定を要しないとする見解とがあった(<証拠略>)。
ところで、原告は、右の区域認定を要しないとの見解をとり、附属物の範囲はその認定により、現地において、具体的に、かつ、即地的に明らかになると主張する。
そこで、右主張について検討するに、「河川ニ関スル規程ニ従フ」と規定されていても、河川と附属物との間でその性質上、異なる取扱いをすべき合理的理由のある場合には、河川に関する規程であっても附属物に適用されないとすべき場合があり得ることは明らかである。そして、河川については、縦の限界が主務大臣による河川の認定により定められ、横の限界は地方行政庁による河川区域の認定により定められることになっていたので、河川の認定とその区域の認定という行為の主体及び処分の性質の異なる二つの処分に分けて規定されていたが、附属物については、附属物の認定とは別にその区域の認定を行うべきであるとした場合であっても、両処分は、いずれも地方行政庁が行うものであるから、必ずしも、附属物の認定とその区域の認定という二つの処分として分離してなされなければならないものではない。また、附属物は、人工の工作物であって、その認定は、すでに存在する工作物について行うものであるから、工作物を特定さえすれば、それによって現地において、その範囲(区域)を確定できると考える余地がある。
しかしながら、本件において私権の消滅が問題となる堤防等の附属物は、私人が設け、かつ、私人が所有し管理して来たものであるから、何代にもわたって築造され、また、改築、修復等を繰り返したものや、当初の目的とは異なり、その一部が建物敷地、畑地、山林となっていたりしているものも存在したと考えられる。したがって、附属物と認定されるべき工作物(特に堤防)が、現地において、外形的に他と明確に区別できるのが通常であったとすることはできない。また、当該工作物が私人の土地家屋等を保護するために築造されたものであっても、客観的に見て、流水によって生ずる公利を増進し、又は公害を除却若しくは軽減するという機能を有しておれば、ここにいう附属物として認定の対象となるとされていたのであるから(<証拠略>)、そのような機能を果たすものであるかどうか、どの範囲までがそのような機能を果たしているかといった判断は、常に現地における外形から容易に判断し得たとすることもできない。
そうすると、河川法理由書において、河川の区域の認定の性質について、「既ニ認定ト謂フ以上ハ現在セル或ル事実ヲ確認スルニ外ナラズ」とされており(<証拠略>)、一般に「河川の実体を備えるものにつき河川であることを確認する行為であるから、河川の実体を備えるや否やにつき正確な認識と判断を要する」とされていたこと(<証拠略>)をも併せ考えると、附属物が実体を備える工作物であるということから、直ちに、工作物を特定して附属物を認定さえすればその範囲が現地において、具体的に明らかになるとすることはできないというべきである。
右の点は、河川台帳令が、一条において、河川台帳は帳簿及び実測図をもって組成する旨規定し、二条二号において、河川の附属物及び河川に影響を及ぼすべき工作物の種類、数量、構造及位置形状を河川台帳の記載事項として規定していること、河川台帳に関する細則(大正一〇年内務省令第二九号)が九条において河川の附属物の敷地はすべて折れ線をもって区画すべき旨等詳細に実測及び表示の方法を規定していること(<証拠略>)。ちなみに、附属物の範囲が即地的に定まっているとすれば、凹凸のある外形に合わせるため曲線表示も採用されたものと考えられる。)、前示の不動産登記法一〇二条ノ三は、河川の附属物の敷地についても適用される旨の大正二年六月の民事局長通ちょうがあること(<証拠略>)、原告が河川台帳の例として提出した証拠(<証拠略>)においても、実測により、一方では建物敷地が堤防の一部とされ、他方で建物敷地が堤防に割り込む状態で堤防敷から除外されていること、後記2(二)(2)のように本件環状堤についても堤防敷から除外されている部分があることからも首肯できよう。
したがって、附属物については、附属物としての認定のほかにその区域の認定という別個の処分を必要としないという見解をとるとしても、その認定は、単に附属物を特定すれば足りるというものではなく、現地においてその範囲を確定する作業を含むものと解するのが相当といえよう(前示のように、河川の区域の認定について、その範囲を明らかにした上で告示等の措置をとるべきであるとされているのは、私権の喪失という法的効果をもたらす行政処分については、その効果の及ぶ範囲を明らかにしてそのことを関係人等に周知させる必要があるという考え方に基づくものと考えられるところ、その理は、附属物の認定においても異なるところはない。)。
なお、河川法第四条第二項の規定に基づく共同施設に関する省令(昭和二九年建設省令第一一号)の三条には、「法第三条の規定は、法第四条第二項の規定により河川の附属物として認定された共同施設については、適用しない。」と規定されているが、右省令の規定は、附属物の認定は現地においてその範囲を確定して行うべきものであるとの前示解釈と何ら矛盾しないし、また、附属物の認定とその区域の認定という二つの処分が必要であるという前示の解釈についても、これを妨げるものではない。
2 そこで、次に大正一四年にされた大正認定までの実際の取扱いがどのようなものであったかについて検討する。
(一) <証拠略>と弁論の全趣旨によると、次の事実を認めることができる。
(1) 本件環状堤については、明治三二年に木曽川の附属物としての認定(明治認定)がされたが、明治三五年に長良川の附属物に認定換えがされ、明治四〇年に範囲を輪中堤部分に限定する等の訂正がされた(その結果、告示の内容は、「海部郡立田村大字福原新田ヨリ同郡同村大字立田ニ至ル 副堤長九百五間」となった)。
(2) そして、大正二年一二月二四日、愛知県公報により、揖斐川支川長良川の河川敷地と認定した土地細目として、堤防敷、川敷を区別した上、各土地の地番(それが土地の一部である場合には一部である旨明示)及び地目、面積が告示された(以下「大正区域認定」という。)。右告示は、明治四五年五月現在の土地台帳によるものであった。
(3) その後、前示の改正不動産登記法一〇二条の三等により、右告示において堤防敷、川敷とされた土地は、分筆等された上、登記を抹消された。
右の堤防敷とされた土地の中には、本件土地(一)の旧地番である三一六番(畑)の一部二畝二九歩、本件土地(二)の旧地番である三二六番(堤防地)の一部四反五畝二七歩が含まれており、それぞれ、三一六番二、三二六番二として分筆された後、登記を抹消された。
(4) 大正一四年一〇月二八日には、再度、本件環状堤について附属物としての認定(以下「大正認定」という。)がされたが、その告示においては、長良川附属物として「海部郡立田村大字福原新田ヨリ同郡同村大字立田ニ至ル副堤」と表示され、同時に「異動ナシ」と表示されており、明治認定との間に付属物の対象に変化はなかった。
(二)(1) ところで、弁論の全趣旨により愛知県が作成保管していたものと認められる<証拠略>(本件更正台帳)には、「揖斐川支川長良川更正台帳平面図 愛知縣」と記載され、大正一二年五月一五日着手、大正一四年三月三〇日結了と記載されている。そして、大正認定の告示においては、今回実測の上更正台帳を調製した旨記載されていること(<証拠略>)、河川台帳令は、五条、七条二項において河川台帳の更正に関する規定を設けていること(<証拠略>)、本件更正台帳の様式が河川台帳ニ関スル細則(大正一〇年内務省令第二九号)に適っていること(<証拠略>)などからして、本件更正台帳は、地方行政庁である愛知県知事において大正認定に先立ち河川台帳を更正した更正台帳と認められる(もっとも、河川台帳令五条により主務大臣の認可を得たことを認めるに足りる証拠はないので、これをもって旧法一四条三項の効力を認めることはできない。)。
(2) そこで、本件更正台帳の内容について見るに、本件環状堤は、その幅が一定ではなく、環の内側において、盛土した堤防中段部分とも言える土地が各所で隣接し、その中には建物が存在するものがある。
そして、前示のように大正認定では明治認定から異動がないとされているので、そこに附属物として表示されている堤防は、明治認定に係る附属物と認められるところ、それには、右のような中段部分を除外している部分があったり、その法尻線が実際の堤防法尻線と合致しない部分が多数存在する。そうすると、前示のように、大正認定においては、認定の対象に異動がないと表示しているのであるから、大正認定においては、本件更正台帳に附属物として記載されている範囲で附属物の認定をしたものと認められ、その時点における本件環状堤について即地的にその範囲を決定しているものでないことは明らかである。
なお、前示の経過からすると、右附属物は、明治認定と大正区域認定に基づくものと認められるところ、大正認定の際に愛知県知事が即地的に附属物が定まるとの見解をとっていたとすれば、認定に先立ち実測しているのであるから、その現況に合せて本件更正台帳に附属物の表示をした上、新たな附属物について認定の告示をしたはずである。
(3) 次に、本件各土地について見るに、本件更正台帳では、本件土地(一)の付近には、附属物の外に堤防の法と見られる部分がほぼ本件土地(一)に見合う形態(三角形)で、附属物から除外されている。
さらに、本件土地(二)の付近には、南北に長い堤防中段とも言える部分があり、その約半分が法部分とともに細長く附属物から除外されている。
そして、それらの除外された土地は、<証拠略>において、登記名義が私人に残存しながら、本件各土地及びそれと同様の理由により権利収用された土地として表示されている部分とほぼ合致する。
そうすると、本件各土地が前示のように大正区域認定において堤防敷とされた土地を分筆した残地であることからして、本件各土地は、大正認定の時点において、附属物の範囲から除外された堤防の法部分あるいは中段部分であると推認するのが相当である。
なお、<証拠略>によると、本件土地(一)は、大正区域認定により三一六番二が分筆された後、戦後の自作農創設特別措置法によりその田又は畑の部分(三一六番の三ないし九)が買収され、更に昭和四〇年に三一六番一〇が分筆された後の土地(前示三一六番の残地)であることが認められるのであって、その点からしても、本件土地(一)は、右に判示したように、本件更正台帳において除外されている法部分にほぼ相当する土地であるといえる(本件土地(一)については、その一部(本件土地部分(一))が平地であったかどうかが一つの争点となっているところ、本件土地(一)が右のような経緯で分筆された残地であることからして、平地部分は、農地として耕作されていなかった部分が法部分と一緒に買収の対象から除外されたことに起因するものと考えられる。そして、本件土地(二)についても、同様のことが考えられる。)。
(三) 右(一)(二)において判示したところによると、愛知県知事は、大正認定の時点までは、本件環状堤について、附属物の認定のみによってその範囲が確定し私権が消滅するという見解をとらず、附属物の範囲を現地において具体的に確定し、その結果を河川の敷地と同様に告示して初めて私権が消滅するとの見解を採用していたものと認められる。
3 次に、本件認定処分時における取扱いについて見るに、前示のように本件認定処分の告示においては、起点と終点の表示に小字が用いられるなど、明治認定、大正認定と比較すると表示が詳細になっていることが認められる(<証拠略>)が、愛知県において、大正認定後に附属物の認定とその範囲の告示に関する従前の取扱いを変更したとすべき事情を認めるに足りる証拠はない。
なお、<証拠略>によると、訴外太郎は、本件認定処分後である昭和一八年三月二二日、大正区域認定により堤防敷となった土地について占用許可の申請をし、その許可を得たが、その中には、本件各土地は含まれていないことが認められる(<証拠略>中には、三一六番一との記載があるが、右記載は、その面積の記載からして三一六番二の誤記と認められる(<証拠略>)。)。
そして、本件認定処分後、昭和四〇年四月一日に旧法が廃止されるまでの間に、新たに更正台帳が作られたり、新たに附属物の範囲を確定する作業が行われ、その結果が告示されたことを認めるに足りる証拠はない。
4 右2、3において判示したところによると、愛知県の行政実務においては、一貫して、河川の附属物である堤防については、河川の場合と同様にその範囲を現地において具体的に認定し、それを告示等により周知させて初めて私権が消滅するとの見解を採用していたものと認められる。
なお、<証拠略>によると、昭和一三年七月に木曽川、長良川、揖斐川で大洪水が発生した際、本件環状堤の南部が破堤したため、その修復がなされたことが認められるが、本件各土地がその修復によって新たに堤防の一部となったとの事実を認めるに足りる証拠はない。そして、前示のような旧法の解釈と行政実務を前提とすると、修復後の堤防についてされた本件認定処分は、新たに附属物の範囲を確定するための実測がなされたことを認めるに足りる証拠がないことからして、附属物の範囲を従前のものと同一とするとの前提の下になされたものとみるのが相当である(そうでないとしても、本件各土地を新たに附属物の範囲に含める旨の表示は全くなされていない。)。
そうすると、本件認定処分があったこととその時点で本件各土地(本件各係争地を除く。)が本件環状堤の一部であったことから、本件認定処分により本件各土地の所有権が消滅したとすることはできない。
三 本件認定処分により私権が消滅したことを争うことと信義則違反について
まず、<証拠略>によると、次の事実が認められる。
1 被告は、姉である訴外千代子の代理人として原告との間で本件環状堤の各土地の買収の交渉をしていたが、訴外千代子も被告も原告の行う河川の改修事業そのものには反対しておらず、土地の購入価格について合意が成立しなかったため、売買契約の締結を拒絶していたこと。
2 しかし、被告は、昭和三九年七月一四日、原告との間で起工承諾覚書を交わし、その覚書において、原告は、本件各土地を土地収用法の規定により収用すること、附属物認定のされた土地についても私有堤と同等の補償をすることを約したこと。
3 原告は、当初右覚書のとおり、本件各土地について土地収用裁決の申請をしたが、その後、その申請を取り下げ、第二、一5(一)の経緯で本件権利収用裁決を受けたこと。
4 訴外千代子は、昭和四八年二月二一日、本件収用裁決における補償額に不服があるとして補償金増額請求の訴訟(以下「別件増額請求訴訟」という。)を提起したこと。
5 被告は、訴外千代子から、昭和四八年九月六日、本件各土地の贈与を受け、第二、一5(二)の経緯で、別件引渡請求訴訟を提起したが、本件認定処分により本件各土地の所有権は消滅したとの理由で敗訴したこと。
6 別件増額請求訴訟は、別件引渡請求訴訟が控訴審に係属中に上告審の判決が出て確定したこと。
7 被告は、別件増額請求訴訟について、訴外千代子の代理人として、弁護士である訴訟代理人との打合わせ、事実調査などに積極的に関与し、訴訟を実質的に遂行したこと。
そして、別件増額請求訴訟においては、各土地につき所有権に対するのと同額の補償額(堤防という治水施設としての価値を加味して定められた。)が認められたこと。
8 被告は、別件増額請求訴訟の確定後にされた別件引渡請求事件の控訴審判決に対しては、上告をしなかったこと。
その結果、本件認定処分により本件各土地の所有権が消滅したとして被告の明渡請求権を否定した第一審判決が確定したこと。
9 右補償金は、昭和六三年一月一八日に訴外千代子に支払われ、そのころ、被告は、本件各土地の補償金に相当する金額を訴外千代子から受領したこと。
右の事実を前提として検討するに、本件訴訟の最大の争点は、本件認定処分により本件各土地の所有権が消滅したかどうかであり、別件引渡請求訴訟において中心的争点として、実質的に審理された争点と全く同一であるから、本件訴訟は、別件引渡請求訴訟において解決された紛争の蒸し返しに当たる。そして、被告は、別件引渡請求訴訟において敗訴したのであるから、もはや、原告に対して本件各土地の引渡しを求めることはできない立場にある。他方、被告が最大の関心事として上告審まで争った補償額については、所有権に対する収用と同額の補償がなされているのであるから、被告には、現時点において、本件認定処分により本件各土地の所有権が消滅したことを争い、自己が依然としてその所有者であると主張する実質的な利益はないというべきである。
したがって、本件訴訟において、被告が、本件認定処分により本件各土地の所有権が消滅したことを争うことは、訴訟法上の信義則に反し、許されないというべきである。
第五総括
よって、原告の本訴請求は、理由があるから、これを認容し、被告の反訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 岡久幸治 森義之 田澤剛)
(別紙) 物件目録(一)
(一) 愛知県海部郡立田村大字立田字三番割三一六番一山林 一六一平方メートル
(二) 愛知県海部郡立田村大字立田字三番割三二六番一山林 二九七平方メートル
(別紙) 物件目録(二)
(一) 別紙地積測量図において「316番1」と表示されている土地のうちイ、ロ、ハ、ニ、ホ、ヘ、ト、イの各点を順次直線で結んだ範囲内の土地
(二) 別紙地積測量図において「326番1」と表示されている土地のうちイ、ロ、ハ、ニ、ホ、ヘ、ト、チ、イの各点を順次直線で結んだ範囲内の土地
「(一)土地の説明」
イ点 別紙物件目録(一)記載(一)の土地の東南角の境界点
ロ点 イ点より西方向への境界線に沿って二・九メートルの地点
ハ点 ロ点より七・五メートル、ト点より二・七メートルの地点のうち西側の地点
ニ点 ハ点より一一・四メートル、ヘ点より五・二メートルの地点のうち西側の地点
ホ点 別紙物件目録(一)記載(一)の土地の西北角境界点ヌより東側境界線に沿って一六・八メートルの地点
ヘ点 ホ点より南東方向への境界線に沿って二・八メートルの地点
ト点 イ点より北西方向への境界線に沿って七・四メートルの地点
「(二)土地の説明」
イ点 別紙物件目録(一)記載(二)の土地の東北東角の境界点
ロ点 イ点より南南西方向への境界線に沿って二・五メートルの地点
ハ点 ロ点より一二・三メートル、ヌ点より一五・三メートルの地点のうち北側の地点
ニ点 ハ点より一四・四メートル、ヌ点より八・二メートルの地点のうち北側の地点
ホ点 ニ点より三・五メートル、ヌ点より七・〇メートルの地点のうち西側の地点
ヘ点 別紙物件目録(一)記載(二)の土地の南西角境界点ヌより西側境界線に沿って七・七メートルの地点
ト点 同土地の北西角(西端)の境界点
チ点 ト点より東方向への境界線に沿って八・八メートルの地点
別紙
地積測量図<省略>